中田瑞彦と本部朝基語録

左から中田瑞彦、丸川謙二、本部朝正
左から中田瑞彦、丸川謙二、本部朝正

『本部朝基先生・語録』の著者・中田瑞彦先生は、戦前、東京大道館で本部朝基に学ばれた方である。父は文化勲章受章者で法学者の中田薫、母は吉田茂元首相の妹である。

 

中田先生は、大道館に正規に入門されたわけではなく客分的に出入りされていた方で、ご本人は丸川謙二先生等正規の門下生に遠慮して「押し掛け弟子」と謙遜しておられた。とはいえ、週に一度は本部朝基を訪ねていたらしく、本部朝基のほうでも気に入って、普段は技に関して滅多に言葉で解説するたちではなかったが、中田先生には気を許して酒の席などで愉快に空手談義をすることが多々あった。

 

本部朝基語録は、こうした逸話、談話をまとめたものである。語録が書かれた昭和50年頃といえば、本部朝基に対する空手界の評価は、「強かったかもしれないが、ただ腕っ節が強いだけで大した技を身につけたわけでもない、ただの乱暴者」という評価が支配的であった。また、当時空手が流行しはじめていたとは言え、本部朝基が伝えたような古流空手(唐手)は顧みられることもなく死滅しかかっていた。

 

それゆえ、この語録は、この先もう何の光明も見いだせないが、せめて自分が見聞した本部朝基の真伝を書き記して後世に残しておきたい、という心境のもと、書かれたものと推察する。しかし、東大に学び一時は小説家を志していたという方だけあって、その文章は鋭い観察力と相まって、一語一語突き刺すように鋭敏である。いくら多年本部朝基に学んでも、明敏な頭脳と相当の文章力がなければなかなかあのように書けるものではない。中田先生の筆致によって、一度消えかかった精神の炎が語録という形で永遠不滅のものになったと思う。

 

この語録は、もとは丸川先生や本部朝正などごく少数の関係者に、流派の奥義書として配られていたのであるが、後年事情があって出版されることになった。しかし、世に出たことによって、同時期に復刻された本部朝基の旧著と相まって、本部朝基の再評価につながったので、結果として良かったのであろう。

 

さて、下記に紹介する文章は中田先生からの本部朝正宛手紙である。内容は本部家で自費復刻した『私の唐手術』本進呈へのお礼である。しかし、それは表向きの体裁であって、手紙の本当の真意は、決して本部朝基が伝えた技は、本部流に学ぶ門人は自分の理解度に応じて軽々しく改変してはならない、という趣旨の切言である。

 

ニーチェの教えに認識の遠近法主義というものがある。それは人間の認識は固定したものではなく、あたかも絵画の遠近法のように、前景だけしか見えなかったり、遠景まで見通せたりと、その人の成長の度合いによって、また人によって見え方は異なる、というものである。

 

空手(唐手)には何百年という伝統の知恵が蓄積し、その上で本部朝基が生涯をかけて築き上げたものは、到底一個人でその全貌を窺い知れるものではない。だから、それを軽々に改変してはならないという中田先生の教えはもっともで、現代に生きる我々はそのことを肝に銘じなければならない。

中田瑞彦氏より本部朝正宛手紙

拝啓、過日は度々、御来訪賜り何の風情もなく失礼致しました。


陳者、今日、『私の唐手術』御恵与賜り御厚情幾重にも御礼申上げます。本部流拳法に関する数少ない文献の一つにて、永く大切に致す所存であります。


本部先生は組手を写真に撮らせるような場合、多少、手振りや運足をカモフラージュされたり、秘奥の実戦技を隠されるところがありました。


私はこのことに気がつき、質問したことがありましたが、そのとき先生は笑いながら、“当たり前です。本当のことを見せてたまるものか”というようなことをいわれました。


それは、自分の武術は激しい鍛練と生命を懸けた実戦の結果から誕生したもので、そこらに転がっているような二束三文のものではない。それは長きにわたって自分の門に学び、才分を認めたものにのみ、伝えられるべきもので、一般に安売りすべきものでない、というような意味だと、そのとき解しましたが、この頃になると、本当のことをやっても、どうせ誰も出来ないし、判らないから、調子を下ろして見せるのだ、という御気持だったかも知れないと、思うようになりました。


「相手を見て、法を説け」という言葉がありますが、確かに本部先生は相手の分や格に応じて武術を傳えられるところがありました。それに先生は晩年に及んでも、不断に工夫、開発に努められていましたので、時代、時代によって、同じ形、同じ業(わざ)でも、教えられるところが違いました。


本当の本部流には、到底、私共の窺い知れ能わざるところが多々ありまして、本部先生は仰ぎ見る巨峰の姿という外はありません。


丸川氏と会う度に、もっと、もっと、先生にいろいろ質問して置けば良かったと、必ずお互いにいい、後悔しています。


それはそれとして、貴台を中心に、本部流拳法に目指すグループの存在されることは誠に嬉しい限りで、今後共、何か御役に立つことがあれば、応分の御協力させて戴きたく思っております。

 

乍末筆、能き御年を迎えられますよう祈上げます。


右取急ぎ御礼迄 敬具

十二月二十九日 中田瑞彦

本部朝正様 硯北