松村宗棍と本部朝基

松村宗棍先生の伝書の展示が、沖縄県立博物館・美術館で始まっている。いわゆる「松村宗棍遺訓」と呼ばれている桑江良正宛手紙である。

 

この手紙には空手(唐手)ついて書かれた箇所はない。その点は残念であるが、しかし偉大な武術家の墨跡が現存しているだけ貴重である。こうしたいにしえの空手家の手紙も将来は文化財の指定を受けるだけの価値があるのではないだろうか。

 

さて、松村先生については、本部朝基は著書や新聞の座談会等で色々語っており、今日ではそれらはいずれも貴重な歴史証言となっているが、本部朝基の直弟子・松森正躬氏が、所蔵する『私の唐手術』(昭和7年)の余白に書き残した文章にも、松村先生について本部朝基が直接語ったと思われる内容が僅かではあるが記されており、以前ご遺族の好意で複写させていただいた。そこには以下のような内容が書き込まれていた。


「近世の唐手の達人中、松村先生程精妙を極めて強かった者は他に無い。松村先生は練習法に新機軸を出したる人である。本書に達人として紹介されるような武人が三人位掛っても平気だろうと迄云われている」


「屋部憲通氏は本部先生の親友で現代では本部先生と並び称せられる達人で琉球に留っておられる。本部・屋部両氏は共に松村先生の秘蔵弟子である」

 (原文はカタカナ)

 

内容から当時屋部憲通先生(1866 - 1937)はまだご存命だったようであるから、するとこれは昭和12(1937)年以前に書かれたものということになる。

 

空手史において興味深いのは、松村先生が編み出したという「新機軸の練習法」であろう。本部流にも古流の練習法はいくつか伝承されているが、残念ながらこの新機軸の練習法が何を意味するのか、いまとなっては不明である。しかし、こうした短い余白への書き込みも空手史にとっては貴重な証言であり、空手史の解明を目指す者にとっては無視できないだけの価値を含んでいる。

 

松村先生の師匠は唐手佐久川とも言われるが、若い頃はもっぱら独学に近く正式に師について習うようになったのは後年のことであったという説もある。偉大な武術家だから偉大な師について習ったはずだというのはどこか後世の願望のような感じがして、自分としては独学説のほうがしっくりくるような気もする。ナイハンチや五十四歩を知っていたのであるから全くの独学ということはなかろうが、しかし宮本武蔵の師匠が判然としないのと同じで、得てして天才者は独立独歩の道を歩むものである。

 

屋部先生が松村先生の愛弟子であった事実は『私の唐手術』にも記されているが、これは親友への敬意とともに、当時東京ではあまり知られていなかった郷里の達人を紹介したいという思いもあったものと推察する。概して『私の唐手術』の基調をなしているのは、唐手の真伝が歪められつつあることへの懸念、そして真に評価されるべき唐手家が評価されていないことへの淋しさである。

 

さて、本部朝正宗家も、子供の頃、直接父が松村先生を評するのを聞いたことを、いまでもはっきり覚えている。それは近所に住む沖縄出身の小橋川という人が自宅を訪ねて本部朝基と空手談義に花を咲かせていたときであった。そのとき、小橋川氏がふと「御前(ウメー)が師事した唐手家の中で、どなたが一番立派でしたか」と質問したのである。それに対して、本部朝基は即座に「それはなんと言っても首里の松村先生だよ」と返答したそうである。

 

(2013年1月30日、本部直樹記)

 

工事中。