本部拳法の技術体系

本部朝基先生は、首里手の松村宗棍、佐久間親雲上、糸洲安恒といった諸大家に師事され、また泊手最大の大家・松茂良興作先生のもとでも修業されました。

 

それゆえ、空手の一般的分類では首里手の正統となり、それに泊手も含まれるという形になりますが、一口に首里手と言っても、その特徴は、糸洲先生以降の体育空手ではなく、それ以前の松村・佐久間時代の武術空手の特徴を色濃く残しています。

 

また、本部拳法は、兄・朝勇先生の本部御殿手とともに、戦前から組手を重視してきた数少ない流派の一つでもあります。

ナイハンチ

「突き(拳)は現在は前方に水流しといって下にさがっているが、昔はそんな手はなかった。 真っすぐにかえって上にあがる心持ちだ突くものだ。これは首里の松村の流れがほんとである」(琉球新報、昭和11年)
「突き(拳)は現在は前方に水流しといって下にさがっているが、昔はそんな手はなかった。 真っすぐにかえって上にあがる心持ちだ突くものだ。これは首里の松村の流れがほんとである」(琉球新報、昭和11年)

本部拳法では、まずナイハンチの型を基本として徹底的に稽古します。本部拳法の術理は、すべてナイハンチの中に内在しているからです。ナイハンチは基本であると同時に奥義であり、これは生涯を通して稽古します。

 

朝基先生は道場経営を目的として、あれこれと多数の型を教授するのを嫌いました。請われれば、時々はパッサイやセイサンなども教えましたが、原則としてはナイハンチ一本で指導を通されました。他から「ナイハンチしか知らない」と揶揄されようと、おのれの信念を貫かれました。

 

本部のナイハンチは、全体的に上段に構える古式のナイハンチであり、足運びなども糸洲以降の力強い運足ではなく、松村時代の静かな運足を特徴とします。腰も糸洲系統よりもやや落とし、脚は膝は閉めずに「八文字立ち」の自然な形を維持します。

 

また一般的な右進行で始まるナイハンチの他に、首を左右に巡らせた後、左進行で進む古式のナイハンチなどいくつかのバリエーションが伝えられています。

組手

夫婦手の構え二種。右は中段開手構え(大正15年)
夫婦手の構え二種。右は中段開手構え(大正15年)

夫婦手

組手は、夫婦手(めおとで)の術理を基本とし、諸手連動による攻防一体の技術の習得を目指します。夫婦手は古伝空手の根本原則であり、今日ではもはや本部拳法と本部御殿手のみが継承している術理兼構えです。

 

夫婦手では、後手は引き手として脇に添えるのではなく、必ず前手に添えるようにして身体正面の急所をガードするよう心がけます。また、実際の攻防に際しては、左右の手はいずれも自在に攻め手、防ぎ手に切り替わって臨機応変に対処できるようにします。

 

突き

突きは、夫婦手の原理に従い、前手、後手どちらからでも突きます。戦前から前手も攻撃に使っていた流派は、本部拳法と本部御殿手だけでした。これは朝基、朝勇先生が、型偏重の風潮に流されずに組手も稽古体系の中にしっかりと取り入れ、王朝時代からの古流の伝統を途切れずに継承していたからです。また、本部拳法は入身しての近間の間合いでの攻防を基本とするため、一般的な正拳突き以外に接近戦で有効な裏拳、猿臂(肘打ち)等も多用します。

 

蹴り

蹴りには、前蹴り、膝蹴り、膝折り(横蹴りの一種)等があります。本部拳法の蹴りは近間の間合いから放つ古流の蹴りであり、回し蹴りなど、戦後ムエタイなど空手以外の武術から導入された蹴り技は、本部拳法にはありません。

 

掛け横受け
掛け横受け

受け

受けは、一般的な上げ受け、横(内、外)受け、下段払い以外に、「掛け横受け」、「突き受け」などがあります。本部拳法では、攻防一体の基本理念により、受け手も「受即攻」を実現するよう心掛けます。

 

また掴み手は、今日の空手の組手試合では反則とされますが、本部拳法では組手技法の基本となっています。

 

立ち方

立ち方はナイハンチ立ちの足幅と腰の高さをそのままにして、体勢を左右に捻った立ち方を基本とします。また、体重は両足に均等に乗せるようにします。本部拳法の組手では、猫足、前屈立ち、後屈立ち等の立ち方は用いません。  

「失われた空手」-古伝の継承-

本部宗家の夫婦手の構え。本部拳法の構えは、王朝時代そのままである。
本部宗家の夫婦手の構え。本部拳法の構えは、王朝時代そのままである。

本部拳法のこうした組手技術は、戦後、大学などを中心として組手試合が可能となる中で編み出されたものではなく、あくまでも朝基先生が、幼少の頃より師匠との厳しい稽古と掛け試しの実戦を通して体得されたものであり、真正の沖縄古伝の組手技法です。

 

空手は、本来「修業は型も組手も同時にやったものだ」と朝基先生が語っているように、王朝時代から明治初頭にかけては、型だけでなく組手も大切に稽古しました。しかし、大正以降、空手界では次第に組手軽視、型偏重の風潮がはびこり、組手を教えると“邪道扱い”されるようになり、もっぱら型の習得数を競う“衒学主義”に陥りました。

 

しかし、朝基先生はそうした風潮には流されずに、型はナイハンチを中軸に据え、王朝時代からの古伝組手を大切にするという信念を貫き通しました。一方、空手界では主に若者・学生達が中心となって新たに組手を創作していきましたが、これらは「今の組手なんかは、空手の型をそのまま取ってやっている」と朝基先生が指摘しているように、本来の組手とは全く関係のないものでした。その結果、古伝組手を正しく継承するのは、いつしか本部流だけになってしまったのです。

 

このように本部拳法は、本土はもちろんのこと、沖縄でも失伝した古伝組手技法の数々を今日まで継承しており、これらの技法は沖縄が世界に誇る貴重な文化遺産と言えるでしょう。