本部御殿は、第二尚氏王統・第十代尚質王の第六王子、本部王子朝平を元祖とする琉球王族の家柄です。
王府の政治・儀礼・文化に関わるとともに、琉球武術の伝承にも深く関わってきました。
本部御殿は、第二尚氏王統から分かれた琉球王族の家柄である。
歴代当主は、王府の政治・儀礼・文化に関わり、要職を歴任した。
本部御殿は、本部御殿手や本部拳法につながる武術史の面でも重要である。
第二尚氏王統・第十代尚質王の第六王子である本部王子朝平は、1666年(康熙5年)に本部間切を領地として賜り、本部王子を称しました。
これ以後、朝平の子孫は本部の家名を受け継ぎ、琉球王族の家柄である本部御殿として続いていきました。これが本部御殿の始まりです。
本部御殿の歴代当主は、王子または按司の地位にあり、首里王府の要職を歴任して国王を補佐しました。政治・外交・儀礼など、王府の重要な場面に関わり、王国の統治と儀礼文化を支える役割を担いました。
また、本部御殿は文武両道に長けた家としても知られ、政治家、外交官、歌人、芸術家、武術家など、多くの人物を輩出しました。
本部御殿は、王府政治だけでなく、琉球の文学・芸能・儀礼文化とも深く関わりました。
三世・本部王子朝隆は、尚貞王七回忌の御茶御殿奉行をつとめ、組踊の祖として知られる玉城朝薫とも関係がありました。また、五世・本部按司朝救は琉歌の名手として知られ、琉球舞踊の名曲「天川」にもその歌が伝えられています。
このように、本部御殿は王族としての教養を背景に、琉球文化の継承と発展にも関わりました。
十世・本部朝勇、本部朝基、喜屋武朝扶、喜屋武朝徳など、歴代の当主やその家系は、琉球武術の鍛錬と伝承に深く関わりました。
本部御殿は、本部御殿手・本部拳法の源流として、武術史においても重要な位置を占めています。
本部御殿の家紋は「丸に左三つ巴」です。王家の紋章である「左御紋」と同じ意匠を使用しており、王統との深いつながりを示しています。