唐手の達人達

◇が一堂に集まった昨日

◇の師範学校武術研究会

 

『琉球新報』大正7(1918)年3月21日記事

◆師範学校では、年中行事の一つである武術研究会を昨日午前九時から同校講堂で催した。元来この会の主旨は生徒に教えつつある角力(すもう)、唐手の型をその道の人の前で実地に演(や)らせて、悪い点は一々改めて実社会との連絡を計ると云うのであるから、当日の来賓も本部朝勇氏、喜友名翁1)、山の前のウスメーこと知念翁2)等、

 

◆その道の達人や趣味の深い人々を以て充たされていたが、中には山川沖銀支店長、琉球音楽家の金武良仁氏3)等、別方面の顔も見受けられた。定刻になると本科三年以上の生徒から選り出しの選手が入り替わり立ち替わり琉球角力、唐手の試合があり、それから唐手の分解、型、準備、試合等があって屋部教師4)の学校での

 

◆教授の型について説明があった。次に本部朝勇氏のショーチン5)、喜友名翁のパッサイ、知念翁の棒使い、屋部の五十四歩について型を示し、十一時半研究を終え暫時休憩の後、正午からさらに批評会開き、屋部教師の学校で生徒の練習の有様、武術に対する批評があって後、各専門家の学校の教授の型に対する

 

◆質疑応答並びに批評があった。これが終わると、一同武術饅頭に舌鼓を打ちながら集まれる達人達の練習時代の懐旧談に花を咲かして午后一時散会した。

 

※原文は旧漢字旧仮名遣い。句読点を適宜補った。

1) 喜友名のタンメー。松村宗棍の弟子で、戦前玉陵(たまうどぅん)の番人をしていた。

2) 山根のウスメー。山根流棒術の知念三良(1842-1925年)。

3) 金武良仁(1873-1936)。琉球古典音楽家。「本部朝基翁に実戦談を聴く!」参照。

4) 屋部憲通(1866-1937)。松村宗棍、糸洲安恒の弟子。本部朝勇・朝基の友人。

5) ソーチンのことか。ソーチンは新垣派の型。