本部朝正・本部御殿手宗家
生い立ちと上原清吉との邂逅
![上原先生と朝正宗家、神戸、昭和51。](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/sf9b5724477981ce7/image/i38d5fb75f2a47d27/version/1659070628/image.jpg)
本部朝正(もとぶちょうせい)宗家は、大正14(1925)年7月24日、父・本部朝基、母・ナビの次男として大阪に出生されました。昭和13(1938)年より、父・朝基に本部拳法を師事し、昭和23(1948)年からは地元の尊光寺のお堂を借りて空手の指導を開始されました。
昭和51(1976)年、神戸にて朝正宗家は上原清吉先生に初めて出会い、本部御殿手を本部家に返したいのでこの流儀を是非継承してほしいと依頼を受けました。朝正宗家は上原先生の技に感銘し、父・朝基の本部拳法とともに、伯父・朝勇の本部御殿手も継承することになりました。
本部御殿手の修業
![大道館、大阪、昭和54(1979)年。](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/sf9b5724477981ce7/image/icbadc10853522cb5/version/1669585064/image.jpg)
それ以来、朝正宗家は毎年のように自身が沖縄に赴くか、上原先生が大阪にお見えになるなどして、本部御殿手の修業を開始されました。当初は足の皮が剥けるなど、本部拳法と異なる運足に戸惑いなどしましたが、生来の生真面目さで熱心に修業を重ね、本部御殿手を習得されていきました。
上原先生の教授法は、琉球王国時代の教え方を踏襲したもので、厳格な秘密主義のもとで行われました。朝正宗家は本部御殿手の継承者ということで、他の門弟との一般稽古とは別に、上原先生との二人きりの秘密稽古もしばしば行われました。そうした努力の甲斐があって、朝正宗家はついに本部御殿手の全伝を習得されました。
また、稽古の合間には、上原先生から朝勇先生にまつわるエピソードを数多く伺い、それらを記録して家伝の流儀の逸話を残すように努めました。
本部御殿手宗家の継承
![本部御殿手宗家の認定状授与、沖縄、平成4(1992)年。](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/sf9b5724477981ce7/image/i623267e6cf16007a/version/1669585098/image.jpg)
平成4(1992)年11月には、第14代の本部御殿手宗家の認定状が、門弟一同が集まるなかで、上原先生より朝正宗家に授与されました。その後も修業を重ね、平成15(2003)年、上原先生白寿の宴の席上で、正式に本部御殿手宗家を継承されました。
その後は、上原先生の意思を受け継いで、各種の演武会や海外を含む本部御殿手の講習会を開いて、本部御殿手宗家として、朝正宗家はこの流儀の普及と発展に努めて今日に至っています。
本部御殿手第14代宗家認定状(1992)
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=600x10000:format=jpg/path/sf9b5724477981ce7/image/i0dd7a089aa2f0e95/version/1659405432/image.jpg)
上原清吉先生・遺歌
御主加那志武芸 武ぬ舞にぬして
残ちいくしむち 千歳までん
歌意:御主加那志(うしゅがなし、琉球国王)の武芸を 武の舞に乗せて わたくしの本とともに 千年のちまで 残しましょう。
※しむち=本の意。武の舞と著書『武の舞』の両方の意をかけている。
按司加那志武芸 血筋方に残ち
千歳まで栄え 御願さびら
歌意:按司加那志(あじがなし、本部朝勇様)の武芸を 本部家の血筋の方に残して継承してもらい 千年のちまで栄えよと 御願いいたしましょう。
本部朝正 本部御殿手14代宗家継承披露祝賀会(2005年)
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