昭和30年代の本部御殿手(1)

昭和30年頃入門 

松田梅一

  昭和4年生まれ。松田材木店を経営。昭和30年頃入門。私は上原先生と仕事上お付き合いがあって、それで知り合いになった。当時私は胃潰瘍を患っていたので、上原先生に「先生、よくなる方法はないですか」と尋ねたところ、「私のところで稽古をしてみないか」と誘われた。それで、私は「先生、一つ健康法でお願いします」と言って弟子入りした。

 

  稽古は上原先生が経営していた酒場や近所の墓地などで行った。最初の頃は、ボクシングみたいにグローブをはめて、先生が突いてきたのを私がさばく稽古をした。蹴りは怪我をするのでやめておこうと先生が言われたので、稽古はしなかった。こうした練習がしばらくの間続いた。武器術も最初の頃は教わらなかった。

 

  私の上にも弟子の方が少しいたが、その方たちは南米に移住していった。那覇から来ている弟子が一人いた。他に非常にやせている弟子が一人いた。当時上原先生は誰でも入門を許すのではなく、選んで弟子をとっていた。フィリピン時代に弟子が二人いたらしいが、二人とも兵隊にとられて戦死したとのことだった。

 

  最初の頃、私は型を教わらなかった。後に松三戦を習い、第一回の隠れ武士の集まりの大会(昭和36)には、私も出場してこの型を演武した。上原先生は、戦前フィリピンにおられたので、その頃はまだ沖縄ではあまり知られていなかった。

 

  ある時、棒をもった人が上原先生の所にやってきて、棒で勝負をした。上原先生はその人をあっさり棒で取り押さえてしまい、勝負がついた。その人はそれ以来来なくなった。昭和38年頃だったと思う。

 

  上原先生の稽古は相手に真剣に突いてこさせて、それを自由に取手で取り押さえるようなものだった。約束組手ではなく、相手の技によって自在に対処するといったふうで、決まった順番などはなかった。

 

  昭和39年、東京オリンピックの頃、私が米軍払い下げの資材を使って上原先生のために道場を建てた。大きさは30畳くらいあった。東京オリンピックには、私も見学に行った。

 

・  昭和30年代後半、いろいろな先生たちが上原先生のところに来て、空手の研究を一緒にされていた。私は一度、先生のお供をしてA先生のところに行ったことがある。A先生は某の手をもっているという人で、上原先生はA先生の高名を聞いて訪ねたのである。上原先生はA先生といろいろ話をしたり、実際に立ち上がって互いに技を試したりした。当時は口で説明するよりも、実際に技を試してお互いの技量を確認したのである。しかし、A先生は上原先生の質問にあまり答えられず、それほど武を深く極めているようには見えなかった。 また、B先生を上原先生と一緒に訪問したこともあった。この方は上原先生よりも先に朝勇先生に師事しているとのことで、兄弟子と聞いて表敬訪問したのである。しかし、実際に会ってみると、それほど朝勇先生に師事したわけではないことが分かった。上原先生は「B先生はあまり朝勇先生の手は知らないようだ」と、残念がっておられた。

 

  名護から沖縄拳法の津波孝明先生が来て上原先生のもとで熱心に稽古されていたが、稽古の帰りに交通事故で亡くなられた。私は津波先生のお宅に一度上原先生と一緒にうかがったことがあった。

 

  上原先生は朝勇先生に師事して、14、5歳の頃にはもう一人前になっていたそうである。その頃から朝勇先生のお使いでいろいろな先生方のもとに行っていたので、上原先生は、戦後他の先生の空手を見たりすると、「あれは誰某先生の流儀だ」と全部分かっている様子だった。

 

  御殿手の立ち方はかかとを上げるが、上げる高さは地面から紙一重の高さが一番動きやすいと教わった。あまり上げすぎると逆に動きにくくなってダメだと教わった。

 

  朝稽古の後などは、先生のお宅にそのままお邪魔して、朝ご飯をごちそうになることもあった。上原先生はすばらしい先生だった。稽古をしていても、次々と次に習う技があって、先生の持ち技は尽きないように思われた。私は10年くらい師事した。

 

  戦前の話もよく聞かされた。時には、他流の弟子の人とケンカしたこともあったそうだ。夜に出歩くときは灰をもって出なさい。もし襲われたら灰を掛けて逃げなさい、と朝勇先生から言われたと話していた。

 

  上原先生の武術は見せるためのものではない。型も格好つけずに、普通の姿勢で構えて練習した。見せることを意識した虚構が上原先生の技にはないから、傍目には格好良く見えなかったかもしれない。先生の技は本当の実戦を意識したものだった。組手も約束組手ではなく、実戦組手だった。

 

  島袋という人とフィリピンで一緒だったと言っていた。この人は大変な力持ちだった。第一回の隠れ武士の大会にこの人は出ていたと思う。上原先生は誰が道場に来ても受けて立った。負けたことは一度もなかった。

2007527日、64日聞き取り)