「本部流」という名称について

2022年11月16日 初出
2026年6月13日 改訂

「本部流」という名称は、時代や地域によって用いられ方に違いがありました。

 

本土では、本部朝基の空手を指す名称として用いられ、沖縄では、本部御殿伝来の武術体系のうち、空手部門を指す名称として用いられてきました。現在では、本部拳法と本部御殿手の双方を含む総称としても用いられています。

 

本土における「本部流」

『琉球新報』昭和15年8月17日
『琉球新報』昭和15年8月17日

文献における「本部流」の確認できる早い用例として、昭和15年(1940)に『琉球新報』に掲載された「空手道の先輩・本部朝基翁」と題する記事があります。

 

この年、東京で本部朝基の後援会が発足し、発起人には小西康裕氏(神道自然流)やボクサーの堀口恒男氏(ピストン堀口)らが名を連ねました。同記事の中では、「本部流實戦護身術」という流派名が確認できます。

 

本部朝基の弟子であった丸川謙二氏によれば、正式な流派名は「日本傳流兵法本部拳法」でしたが、本部朝基は普段、通称として「本部流」と称していたといいます。本部朝基の跡を継いだ本部朝正師も、「日本傳流兵法本部拳法」と「本部流」の名称を併用してきました。

 

 

 

このように、本土では戦前から、本部朝基の空手流派を「本部流」と呼んできたことが分かります。

 

沖縄における「本部流」

写真:演武・上原清吉師(沖縄県恩納村万座毛、昭和38年〔1963〕)。
写真:演武・上原清吉師(沖縄県恩納村万座毛、昭和38年〔1963〕)。

一方、沖縄では昭和36年(1961)、上原清吉師が本部御殿伝来の武術体系のうち、突き・蹴り・型といった空手部門を「本部流」と称し、本部流古武術協会を設立しました。

 

確認できる早い事例として、昭和38年(1963)に万座毛で撮影された写真があります。この写真では、上原師の帯に「本部流手(もとぶりゅうてぃー)」の刺繍が確認できます。ここでいう「手」は、武術を意味します。

 

上原師は昭和45年(1970)、取手(柔の手)や武器術を含む部門を「本部御殿手」と称して公開し、本部御殿手古武術協会を設立しました。しかしその後も、空手部門については「本部流」という表記を引き続き用い、組織としての本部流古武術協会も存続しました。

 

免状:「琉球王家秘伝武術本部御殿手継承者並びに達士八段の免状」(昭和51年〔1976〕6月10日)。
免状:「琉球王家秘伝武術本部御殿手継承者並びに達士八段の免状」(昭和51年〔1976〕6月10日)。

この免状は、本部御殿手継承者として、昭和51年(1976)に上原師から本部朝正師へ授与されたものです。免状の肩書欄には、「本部御殿手古武術協会長」と「本部流古武術協会総本部長」という二つの組織名と、その長の名称が併記されています。

 

上原師は亡くなるまで、本部朝勇から教わった武術のうち、空手部門を「本部流」とし、取手や武器術を含む体系を「本部御殿手」として区別して用いていました。そのため、沖縄県空手道連盟には「本部流」として加盟し、門人たちも空手の試合に出場する際には「本部流」として登録していました。

 

現在の本部流

このように、本土では本部朝基の空手を「本部流」と呼び、沖縄では本部朝勇から上原清吉師へ伝えられた武術体系の空手部門を「本部流」と呼んできました。

 

平成15年(2003)、本部拳法宗家であった本部朝正師が本部御殿手宗家も継承したことにより、「本部流」は、本部拳法と本部御殿手の双方を含む総称としても用いられるようになりました。

 

その場合は、「本部流(日本傳流兵法本部拳法・本部御殿手)」と表記し、本部流の中に二つの武術体系が含まれていることを示しています。

 

このように、「本部流」という名称は、時代や地域、また対象とする武術体系によって用いられ方に違いがありました。現在の本部流では、こうした歴史的経緯を踏まえ、「本部流」「本部御殿手」「本部拳法」の各名称を使い分けています。